自分のキャリアアップと育児(子どもの教育)の狭間で揺れ動くわたし(ワーママ)たち

教育・子育て

このお話は、私と同じように育児・キャリアの狭間で悩む女性へ何かの気付きや変化につながるようなきっかけになればと思い書きました。また自分自身の記憶もだんだんあいまいになってくるので振り返りの記録として残しておければと思います。

私は産後5ヶ月で復帰し、フルタイムの会社員(ワーママ)として昇進を目指していました。当時会社員としての自分の仕事が大好きで、もっと昇進をし、より責任のある仕事をしたいと考えていました。

出産をする前は会社員として自分のキャリアと年収を上げていくことに意欲的で仕事が楽しくてたまりませんでした。そんな中、子どもを産まないという選択肢をしていた私に予想外の妊娠。

妊娠後も変わらないペースで働き続けたのがあまりよくなかったのか、切迫流産・切迫早産で2回の入院を経験しました。そんななかでも、産後は早期で復帰し、今まで通りにフルタイム、場合によっては残業もしながら仕事もやっていきたいと考えていました。キャリアが途絶えてしまうことに大きな不安を感じていたからです。

一方、プライベートでは、母として子どもの育児(特に教育)に関しての責任のプレッシャーがのしかかってきました。だから子どもの教育もとことんやっていきたいと思い、あきらめたくありませんでした。

それは、私の幼少期の想い出や経験が私の人生に大きくプラスの影響を与えていることを大人になって実感しているからです。親からの無条件の愛や、守られている安心感の中で、否定されず、物事に対する素直な好奇心を満たしてくれた、たくさんの楽しく幸せな思い出が今でも私の記憶にあるからです。

自分の娘にも幼少期に自分が親にしてもらったように、とにかく好きなことを日常の中でたくさん見つけ、世の中のたくさんの物事に興味を持ち、たくさん経験して、毎日希望でいっぱいで楽しく過ごしてもらいたいと願っていました。でも、どうすれば仕事をしながらそれが叶うのだろう?

わたしが未就学児まで母親はいわゆる専業主婦で、わたしは彼女とのたくさんの思い出があります。夏になると海に頻繁に行き遊んでいた記憶が強く残っています。そしてテレビもたくさんみさせてもらった、漫画もたくさん読んだ。よく笑い、よく走り動く活発な子どもでした。あの時の記憶は大人になった今でも強く残っているのです。大人になった今でもそれは心の支えとなってます。困難に直面しても、卑屈にならず周りに感謝し、柔軟に変化するすべを自ら探そうとするルーツがそこにあると思っています。それだけこの時期は大切だと実感していました。

働いていて一緒にいる時間が短い私が、母としてどうしたら娘に幸せの記憶が残せるのか?そしてどこであれば将来に役にたつ土台の教育を受けられるのか?「モンテッソーリーの保育園?」「早期幼児教育?」「インターナショナルスクール?」etc…

わたしは産後すぐ、いくつかの幼児教室にいってみたり、毎日10冊(回)の本読みを実践したり、産後の体調も悪かったせいか産休中娘と外出もなかなかできず、自宅で24時間を過ごすことが多かったような気がします。
そして、ゆっくりとした母子生活・・・ではなくとにかく焦っていました。もうすぐ復帰してしまう、この24時間一緒にいる時間がおわってしまう、この時間を大切にしないと。
彼女が起きている間は絶えず彼女に話し続け、幼児教室で教えてもらったトレーニングを毎日こなす。英語の様々な歌を一緒に聞いたり歌ったり、この5ヶ月を過ぎたらできなくなってしまう!絶対後悔のないよう過ごしたい!と駆け抜けた5か月間でした。

そして会社にフルタイムで復帰。急に子どもが自宅以外で長時間(約10時間30分)過ごしはじめました。娘と一緒にいられる時間がぐっと減りました保育園から家に着くまでの間がミルクの時間で家に着いたらもう寝るだけ。朝は通勤中にミルクを飲ませながら通勤。一緒にいられる時間はご飯と睡眠の時間のみ。通勤を満員電車を避ける路線に変更し、人がいない時間帯の6時台に変更し、勤務日はなんとか毎日20分本の読み聞かせの時間のみ確保しました。

ですが、夫婦共々不定休。当時は私が大黒柱だったので旦那が休みの時は自宅で旦那が一緒に遊んだりできるのですが、私だけが休みの時は家事と平日の会社の仕事の準備をするため、なかなか一緒に遊べる時間がなく一日動画付けにさせてしまう時が増えてきました。

全てが疲れ切った中でなんとかこなすだけ。笑顔を忘れてしまうような毎日がしばらく続きました。

そして気が付いたときには娘が「ママいや」と。

私が保育園に送り迎えする割合が多いのに、お迎えの際、私は娘に大泣きされていました。旦那が迎えに行くと嬉しそうに走って玄関まで来ます。この時に「私が家族を養っているのになぜこんな仕打ちを。」
「娘のために頑張っているのに、なんで娘は私に慣れ親しんでくれないのか?」と娘にネガティブな感情を持つ日が日常的になりました。

そういえば、生まれた時から、大泣きするとなぜか私の腕では泣きやまず旦那の腕の中では泣きやんだ。

泣く時は旦那の方に向かって私には助けを呼びに来ない。

みんな子どもはママが好きというが、我が家は違うケースなのか。私とは別の人格だからそういうこともあるかもしれない。

娘が生まれた時からの様々なコミュニケーションの積み重ねを経験し、母親としての自信をつけていかなくてはいけないはずなのに、私の母親としての自信は日がたつごとに反比例していきました。娘が泣くと私は娘から離れ旦那がだっこするという具合です。

仕事で忙しくなる一方、娘の教育にプレッシャーを感じていました。

なにもできていない。
とにかく何とかしないと。

毎日の睡眠時間は平均4.5時間。睡眠時間を削ってネットで調べたり、仕事の昼休憩中に園に問い合わせしたりして情報収集するなどしていました。乳幼児の土台をつくる教育を知っていく過程で「発達心理学」と「第二言語習得の教授法」などというものが世の中に存在するということを知った時、疲れ切っていた中でも、なぜか私はこの分野をもっと学びたいという意欲がむくむくわいてきました。

この好奇心が会社員を辞めようと思う大きなきっかけとなるとは、この時は思いもしませんでした。

なぜなら実はこの時期に、もう少し子育てしやすい環境で、さらに年収もアップし責任あるポジションでのオファーがあり転職を決めていたのです。

ただ、気になる娘との関係はこれで良好になるかどうかもわかりませんでした。以前よりは生活のリズムも整えやすく少し子育てしやすい環境になるとはいえ、わたしは新しい環境に飛び込む。そして新しい職場でより責任のある仕事。しばらくの間は引き続き仕事外での仕事は確実に増えるだろうと思いました。

そのため、娘と少しでも心穏やかに一緒にいられるよう次の仕事に移るまでの間、約1ヶ月半ほど何もしない期間を作ることにしました。

そしてこの何もしない1か月半の間に大きな変化が起こったのです。

※徒然書いてしまいました。続きはまた書こうと思います。娘が起きてきそうなのでここで中断しておきます。

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